こんにちは、しゅんたろです
一度きりの人生、
貴方はどうお過ごしでしょうか。
今回はそういったお話です。
自分の目標額に届かず働いている人はお金があれば余裕を生むと考え
その目標額を達成している人間は届いてない人間よりは勿論余裕はあるがさらなる高みへ行動を忘れない
お金があれば楽になるのになと考えるだけで何も行動しない人へ
お金がある人はそれなりの努力をしてその位置までたどり着いた
その中で誰にでも平等に時は過ぎていく
時間の使い方を見直して
そこから変わっていく必要がある
ふとたまに
これは社会不安症なのかそれとも
ただその言葉から甘えているだけではないのかと
この症状を小学生の頃に発症した自分にとっては
周りが色んな夢を語る中
「普通の生活がしたい」だった。
何も夢が無いだけじゃないかと思う人もいるだろうが
その頃から自分の中では
普通の生活こそが1番の幸せだと
将来の自分へのメッセージを送っていたのだろう。
しかし現在子供の頃描いていた、
周りから見れば普通に生活をしていれば自ずとなれる
普通の生活を送る事が出来ていない。
昔は目立つ事、注目を集める事が好きだった。
しかし何故だかいつからかそれがなくなった。
いわゆる陽キャになれなかった陰キャである。
挫折を味わったのは確か小学生の高学年の頃。
クラス毎に楽器を使って1曲演奏するという企画があり、
目立ちたい自分は指揮者に立候補した。
立候補したのは自分を含め二人で、
相手はいわゆるクラスの中心的人物。
決めるのはクラスのみんな。
今考えれば勝ち目は無いくらい無謀なことだが、
当時の自分には向上心があった。
結果は言わなくても解るだろうが当然負け。
初めてどんなに努力をしても
届かない世界があるんだと挫折した。
そこから自分はどういう立場の人間か、
周りから見てどういうポジションにいるのか、
子供なりに考えた。
そこから前に出る事が少しずつ怖くなった。
季節が巡る中で人前に立つことは誰しもあるだろうが、
この場所に立つべき人間では無いと、
自分を悲観するようになっていった。
なるべく当たり障りのないように、
自分の意見を言わず、
その場の雰囲気に合わせて行動するようになった。
その方が楽だと感じてしまったからである。
目立たないように影で努力している方が
かっこいいんじゃないか、
そっちの方が自分に合っていると思い込むことにした。
初めは縁の下の力持ちみたいなと思うことにしたが、
根は目立ちたいという心は消えておらず、
その努力が評価されないのなら
努力したって無駄じゃないかと思ってしまった。
クズ人間の誕生である。
陰キャと思われたくない、
でも自分のポジションはそこなんだと。
悲しいが認めざるを得なかった。
友達とワイワイした青春を送りたかった。
学校行事で目立つことをするグループっていますよね。
記憶、そして記録に残るような学校生活を送りたかった。
こういうことやってるんだと言われ、
参加したい気持ちと自分なんかがという気持ち。
結果出来上がったものをいいなーと眺めるだけ。
そんな自分に嫌気が指していたが、
行動する勇気はもう既に失っていた。
努力するということを忘れてしまった。
貴方はどちらですか?
ではまた
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駅前を歩いていると、居酒屋や色んなキャッチの人が声をかけているのを見る。
— しゅんたろ@ぼやく系blogger (@shuntarororo) 2018年12月17日
そんな事してた時もあったなとか懐かしいな、あの頃は楽しかったなとふと思いだすキャッチ時代の思い出。
良い事も悪い事もあったお客さんとワイワイと楽しい会話したり面白い話を聞いたり気負う事なく楽しく働いてたな。